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2005年12月 9日 (金)

『ボクのセカイをまもるヒト』感想

 (Snowly Summer:月臣なおきさん12/7付より)
“谷川氏のわりとやる気ない方に分類される作品”
“この谷川氏の描く「世界」だけは相変わらず秀逸で。 そこを楽しめるか否かがこの作品の評価のポイント”

(参照)
『ボクのセカイをまもるヒト』感想(11/18付)

※後日追記するかも。

 電撃マ王での連載は、パラパラ~っと立ち読みした程度なので、 クラスメイトの石丸文一郎が体格の良い(『こみパ』の立川兄みたいな?)事とかが挿絵で判明したぐらいかな。
 多分、クラスでの遣り取りが中心みたいなので、単行本で見向きもされなかった部分を少し補ってみたのかもしれません。 また立ち読みしてみます。

“「絶望系」「イージス5」の両作品がダメだった人には 更にダメダメになったとしか思えないでしょう”
 今年のその2作を読まれ、感想をまとめられている分、 更には『ハルヒ』シリーズを押えられている分、 月臣さんの谷川作品への読解力が深いのですが、 『セカイ』についての受け止め方にここまで差が出た事は、正直驚いてたりします。
 つーか自分は『学校』ほどじゃないけど
“谷川ワールドへの入り口となりうるのではないかなぁと思います。まだ1冊目だしね”
と(改めて見ると恥ずかしくなるような)感じで推薦しちゃってるんですよねorz

 自分が見た『ボクのセカイを』のポイントはだいたい次の二つです。
(1)人物関係の少なさという簡潔さ
(2)物語の中で主人公の目を通してキャラクターの特徴が更に肉付け
(1)の登場人物の少なさについては 『絶望系』と『電撃イージスV』が自分の見方ではダメだったという部分のひとつに対しての反動からでしょう。
 登場人物がたくさん同じ空間にいて、それぞれがなにかを発しアクションに移していて、 更にその方向性とかが(何一つ)一致していないという混沌です。 混沌は雑音と化し……それでどうもね。

『ボクのセカイを』ではまた、第1章で主要人物4人、第3章で2人追加、第4章で2人というペースです。 これは『絶望系』と『電撃イージスV』のペースと比べると緩やか。 例えば『絶望系』ではP45までに(名前だけの人物を含めて)主だった話に関わるキャラは揃ってます。

(一応改めて触れとくけど) 自分は『学校』シリーズの2巻から読み始めてますが、 ここでは神田(A・B・C)と星名サナエの3人が中心となってました。 その後の活躍が飛躍する(笑)宮田と茉衣子は、ここでは終盤に登場する脇役でしかありません。
 ストーリーの構成が複雑(ネタバレするので詳しく書けず)であるものの、 主要人物の少なさが読解力を補ってくれますので、 少し振りかえるなどする程度でストーリーの内容は構成を含めて掌握出来ます。
 それから1巻、3巻と読んでいく事でキャラクターのライブラリを増やしていってるんですけどね(苦笑)。

 ああ、なんだか自分の人物把握能力が低下してるんじゃないかなぁと(汗)。
 ちょっと改めて自分を分析してみると、 この1年で読んだテキストで一場面の空間に同時に存在する人物の頭数はほとんど2~3人程度 (稀にその頭数が増える事もあるが)な気がする。ほとんどエロゲですな。


(2)については(1)と密接しますね。
 同時空間上の登場人物の数が少ない事により、接する機会も多くなり、 よって例えば羽紬の印象についても無愛想から恥ずかしがり屋、そして笑う事も出来るといった風に、 段階的に変化していきます。印象だけでなく、羽紬の姿勢も。

 月臣さんはこの登場人物の簡素化についてを、 姉の「津波」を物語を進行させるだけの「装置」というオブジェクト扱いとし、 また、タイトルからの推理として次のように記されてます。
“「ボクのセカイ」を守るということがどういうことかというと、 他人のセカイから侵食されないということだと”
つまり、他者は「ボクのセカイ」にとってはそこまで関心のないセカイである (社会を構成する以上、完全に関心を断ち切る事は不可能なので“不十分な無関心”とします) という事からだという指摘です。

 ……今日『雲のむこう、約束の場所』について父上に説明する際に、 映像美と(実質的に表面的な)雰囲気でしか捉え切っていなかった自分は 「個人の行動が世界に影響を与えるとするセカイ系」だといった文言で、 把握しきれていない事から大変不十分で曖昧な説明をしてました。
 そういった「セカイ系」への理解不足が、 『ボクのセカイを』の題名に対する意味合いに気を止めなかった一因があるかと思います。

 自分は「セカイ」を主人公達の居る《無属》としてしか捉えて無いデスね(汗)。
 ただ、その「ボクのセカイ」という排他的なセカイが中心舞台だとして、 では羽紬や猫子という他者が「ボクのセカイ」を最も破壊している(苦笑)にも関わらず、 「ボクのセカイをまもるヒト」という地位、 物語的には「同居人(家族ではないが姉・津波よりも身近)」に居るのかという疑問点が生じます。
 恐らくは「ボクのセカイ」にその破壊的な他者を受け入れていき、 もう少しマシな…じゃなくて擬似的にでも家族団欒を作り出したいからとも言えるし、 ライトノベルで取り扱われるであろうテーマの1ジャンル「恋愛」という視点から見れば、 羽紬と親しくなる流れの中で「ボクのセカイ」に取り込む展開も (谷川さんは)念頭に置かれているのかもしれない。

 と、とりあえず以上まで。色々と受け止め方についての修正が必要だという認識です。
 それよりも、先日部屋から発掘された『絶望系』を読み直してみようと思います。

(12/9 2:10)



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