『涼宮ハルヒ』と『学校を出よう!』の比較思案
※『涼宮ハルヒの憂鬱』広島ホームテレビ放送分の放映時間は、虚人戦中継後の土曜ワイドとスマステの放映時間がそれぞれ「30分ずれ」となってますので、だいたいそのぐらいを見込んでの録画セットを~。
そいえば先日、延長で録画失敗した恨みから局に異物を送りつけたという件がありましたが、さすがにそういった行為で抗議したとしても常識的に考えても同意とか同情なんて得られるはずが無いです。幅を読んで録画セットするとか工夫してください。Gコードばかりに頼るなって。
ここ数日の『ハルヒ』関連では、第5話『憂鬱III』の録画分を1回見た事と、最近再入荷してた小説原作の『涼宮ハルヒの憂鬱』をさっき読み終えたことぐらいデス。小説は通勤中と歯磨きの時間に読んでました。
原作小説版とコミック(ツガノガクさん)版、そしてアニメ版とで、プロットの比較をしてみると面白いかなとは思いましたが…… 3人が正体を明かす部分と公園探索のシーンにそれぞれ違いが生じている……あと3ヶ月間のウチにはそんな余裕が無いんで(w) 気になる方がいればその方に考察はお任せしよう。ウチはもう受信するだけで精一杯です。
小説『憂鬱』読了という事で、次は『溜息』なんですけど、本屋に置いてないorz
それはともかく、読了後に色々とうやむやになってる部分が残されている点は微妙ですけど、これは他の巻とのリンクによって繋がっているみたいで、そういった意味では(今出ている)全作品を通して読んで初めて物語を把握出来るという構造なんだろうなと受け止めてます。
比較するなら、ウチも続巻を待望している『学校を出よう!』は、 1冊か上下2冊でその事件については完結するという(ただ、根底には壮大なものはあるっぽいですけど) 構造となってるんですが、はっきりいうとコンパクト。
不可解が起きて、宮野と芽衣子(など色々)が登場して、宮野が周りを煙に巻くような考察を繰り広げ、周りが更なる事態にまき込まれていき、しかし最後にはきれいに事件を解決させてしまう。だいたいがこのパターンかな。
ただし、世界観の根底にある謎も存在してはいますよ。その謎に追求をしてるのは主に宮野だけですけどね。
他の面子は無関心かハタ迷惑か(無関心を装っている?)、事件を解決させようとするも真相の深層に関わろうとしない、理解できない、関わりたくない。
登場人物のスタンスが事件に“だけ”関わるといったもんだから、読者も事件追求にだけに主眼を向ける事が出来、その1冊(もしくは上下巻)で事件が解決されて安堵できる。だから壮大に感じていたとしても実はコンパクト。
もちろん世界観の根底にある謎に対してももちろん読者は関心をもちますよ。無関心なわけは無い。ただそれは事件解決の過程で宮野の行動や思考を追う中での、副次的な断像を集める事に等しいから、シリーズを追う事によって断像を収集するしかない。しかもまだ謎が残されている……。壮大なものも折り込まれてはいるんです。
翻って『憂鬱』ですが、1冊の中に思った以上に色々な出来事が折り込まれてるのですけど、でも日常に理解困難不可解な非日常が割り込み煙に巻いているといったものだらけ。キョンくんが憂鬱になるはずだよ(役得もあるけどね)。
その非日常に関わる深層が何なのか発言者が明かす以上の事が判らず、更に言うと発言者にとっても深層が推測の域にしかない訳で……、ばら撒かれた謎の欠片を拾うはずの風呂敷は集めきれないまま広げられたまま、突発的に始まった今の世界の危機らしい事件がなんとか解決されたと。それで『憂鬱』読了。
多分、続巻を予定してなかったのなら、ちょっとどうかなと思ってしまいますね。でも続巻が登場し、現在8巻目まで出ている。最初からそこまで仕組んでいて、まだ仕掛けのカードを幾つも持っているというのなら、この『ハルヒ』シリーズは壮大なものと見えてしまう。いやまだ7冊も本の山が控えているのかと思うと気後れしてしまうだけなのかもしれないが(苦笑)。
※情報を収集して取り上げる余裕がないぐらい時間配分が仕事と原稿に注がれている感じです。というか『ハルヒ』『学校』比較なんてのに思考する時間はホントは無かったんだよ(涙)。
メールはもう少し待って~(サンプル下絵が出来れば)。
(5/13 23:30 スマステが確かに30分遅れで放送開始)
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