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2006年10月31日 (火)

《美少女ゲーム年代記》へのお誘い

※ウチのサイトへのアンテナですが、時々通勤時に携帯でテキスト撃ち込んで犀の目ぶろぐに挙げてるので、 万が一の為にあちらにも設定をお願いします。


博物士:おおいしげんさんより 美少女ゲーム年代記関連の 「はてなグループ」への招待状を戴いてます。

 PC98時代を少し踏んでますし(と言っても『ドラゴンナイト4』『同級生2』『ELLE』ぐらい) 資料的には『カラフルピュアガール』全号、『電撃姫』の増刊号時代と 『E-ログイン』の《愛のモザイク劇場》(一部)、 『PCエンジェル』の《リバ原あきの半脱ぎバンザイ(第二期まで)》《北の国から》 その他雑誌でのインタビュー記事の切り抜きを一応所蔵している身ですので(おおいしさんも持ってるみたいですが)、 何かお力添え出来たらいいなぁと思います。

 ただ、最近はゲームがほとんど消化できず、出来ても完走し切ってそこで満腹となってまして(汗)、 作品の中身とかにはそこまで踏み込めないかと……。

 しかしながら様々に存在する趣向のカテゴリーの中で、 自分が「美少女ゲーム」とその関連周辺を選んでいるかと言うと、 単純にはその他の趣向に魅力を余り感じないといった個人的な認識もあるんですけど (入り込む余地がなくなっているとか趣向の幅をそこまで広げられない等も)、 あえて理論的な根源を挙げるとすれば、文芸批評からの影響もあるかと思います。

 その最もたるは自分が大学時代に読んだ旧ユーゴスラヴィアのミロラド・パヴィチの論文 『ベオグラード書簡』(雑誌『文藝 94年春季号』掲載) なんですよね(書評『小説後の時代 ポスト・ロマネスクの一提示「ベオグラード書簡」の先見性』)。
 読んだのは『同級生2』以降マルチエンディング系ソフト(『河原崎家の一族』) プレイ以前という時期でしたので、この論文にある “物語は電算機の自由な空間へ解放され、そこで分かれていく” “小説と物語は、そこで、グーテンベルク銀河の鎖から、印刷技術の鎖から、解放される” 等の記述はある種の予見と受け止めてました。
 そしてそれを最も実践しているジャンルの一つが「美少女ゲーム」等の 「選択肢一つで物語が変化していく」アドベンチャーゲームだと思っているのです。
 と言うよりも、そういった理論を持ってないとこういった趣向を保持しつづけるには世間の見解が厳しいからと言うのもあるんだけど(汗)。

 ともかくそういった思考の元では「市場で売れたか」よりも東浩紀さんなどによる「先鋭性」の方に偏る可能性が高いかも。 なんせ『ToHeart』よりも『ホワイトアルバム』に影響を受け、推すような感じですから(苦笑)。

 それともう一つの文芸的アプローチからくる趣向保持の為の論拠は、「ためらい」という幻想文学の条件を持つこともかな。 この「ためらい」を抱かせるようなトリックのある物語は個人的に好きだったりしますので。
『月は東に日は西に』での結先生の正体についてとか、 『水夏』の第1章・第3章においての登場人物の偽称とか、 『あした出逢った少女』『水月』での物語の構成全体とかに見られます。


 今の所、冬コミ関連の原稿予定はなく、お誕生日絵の予定ぐらいしか頭にない状況なので、 どういった活動となるのかを見ながら思考してみたいと考えてます。



※明日から両親が奄美大島へ遠征……。
 なので木曜の晩までの3日間は家事洗濯まで己の手でこなす事に。
 まずは明日は、床屋にも行きたいので久し振りに広島市から脱藩して 隣の府中町にある大型ショッピングモールで食料品とか晩飯とかの予定。帰宅遅い?
 水曜日は休暇なんで引き篭もります。ビデオに録画ってる『ハルヒ』を通しで見るかな。

 雑誌レポは多分今月も『ゲーマガ』だけとなりそう。『電撃姫』『G's』も買うんですけどね、 でも読むだけでいっぱいかと。

(10/31 0:15)



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