エステルの左遷には大きな意味がある。(保守的な月人の革新)
“月ではわけ隔てなく人々を愛しているものの、こと地球人には偏見を持っている”
“ただわけあって地球に半ば左遷されることになり、地球では月に戻るために必死になって勉強するというキャラだ”
(ASCII.jp アキバ の特集記事)
※有望だった高級司祭候補の左遷の件については一応事実ですからね。
でもそこでの一期一会の出会いが自らの歩みに決定的な変化を与え、そして原石に見事な輝きを与えたというなら、更に奇跡的な導きもあったのですから、その左遷はまさに「運命」であったんでしょう。
※あと相手を警戒するが為に距離を置き自らを守ろうとする気質は過去のオイディプス戦争の経緯から理解できますけど、地球への派遣を「左遷」と呼ぶ月人は、余りに閉鎖的であり、元々は同じ根を持つという事実(つまりは互いが遠い親戚であるという事)を振り返らないままに、地球そのものを対等に見ないその姿勢は自らを貶めていると言える。
そういう閉鎖的で保守的な閉塞感を打破したいとする動きと、地球に対する防衛本能や現状への安寧を維持しようとする勢力とが衝突したのが、セフィリア女王失脚でありフィーナ姫と保守派との確執だったと。
また教団「静寂の月光」も秩序という名の安定に一方的な固執を図ったことは同じく過去の出来事を省みての事ではあるけれども、それは未来への発展性を全く無視した振る舞いであり、極めて保守的であった。
「静寂の月光」に属するフィアッカに対するフィーナ姫の説得も、エステルの心境の変化も、そういう意味では保守的な月人が変革する事の先駆だったといえます。
それこそエステルの歩みは左遷という苦境と地球人への激しい嫌悪から地球人への理解と大きく変わったのですからその生い立ちが混血という意味と同時に月人の祖先のルーツとも重なる事も合わせて、「保守的な月人の革新」の理想像とも言える。
※ただ……一部で熱い支持のあるそのエステルさんの説法「経典アタック」はかなり間違っている気がします。アレは愛の鞭の一種でしょうか(爆死)。 オーガスト・ARIA作品ヒロインの中でもあそこまで「S気質っぽいツンデレ」は見たことが無いんですよね(苦笑)。
※そういえば月人って月に住むから異星人のような印象の方が強いかもしれませんが、元々地球から月に移民した人々なのだからルーツは同じなんです。書いててそう思った次第。
(6/16 23:14)
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