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2007年10月 5日 (金)

CS版『はにはに』における「オペレーションサンクチュアリ編」

 (※前回に繋げようかとは思いましたが結局独立した記事にしますので少し改題と改変)

※今回のは先日のSt.Aquarius:水上さんの「オーガスト作品における大団円は結婚エンド」(9/29・30付)を ウチの方でも取り上げた上で、ちょっと思い立って書いたテキスト(オーガスト作品におけるトゥルーシナリオとイニシャルヒロインの立場の変遷)の続きというか、 CS版『はにはに』における「オペレーションサンクチュアリ(OS)編」についてです。

※それよりも先にSt.Aquarius:水上さんの記事への反応追記です。

 イニシャルヒロインという呼称についてはウチもちょっと使い慣れなかったです。ウチだとトップヒロインと最近になって呼んでますな。攻略可能なヒロインの中でも作品を象徴するような看板ヒロインという意味ですね。広報でも一番目立つ位置にいる娘さん。実際にはまぁどういった呼称が使われているんだろう? なんとなく「看板娘」という言葉しか思い浮かばずorz
 メインヒロインという呼び方はウチは攻略キャラか非攻略対象かという線引きでサブヒロインとを分ける意味しかないと思ってます。というより「メイン」よりも上位という意味で「頂上・トップ」ヒロインと呼び始めてます。

 あと先日の瑛里華様に対する「的」の使い方については強調という意味合いですので~(言い訳)。いえいえポスターなどで最も目立つど真ん中に鎮座しているのですから瑛里華様がトップヒロインだということは疑いようも無いですよ~。

※では本記事の本題に。ここからは『はにはに』の核心に触れる必要があるのでネタバレしていきます。
 CS版(DC・PS2)『月は東に日は西に(はにはに)』(Alchemist)で追加された美琴エンドのその後のエピソード (「オペレーションサンクチュアリ(OS)編」)は確かにCS版における美琴エンドの後日談ではありますし、原作スタッフによるものではない(岡田留奈さんによるシナリオ?)事から、扱い的には結構微妙だったりします(汗)。蛇足とも確かに言われてきてますし。

 ウチ的には委員長と考古学な将来を描かれた方が余程か蛇足な印象なもんで(苦笑)。まだ『ファンBOX』での海水浴への約束で終幕している方が好みですし。というか海水浴一緒に行きたかった(以下略)。

 話し飛んだ(汗)。この辺りは個々での受け止め方で差があるかと思います(汗)。

 とりあえず移植の際に追加されたシナリオをどう位置づけるかの違いによってその評価は大きく変わるかと思います。
 PC版シナリオでは未来の病気であるマルバスの発症の被害範囲がいずれも身内に限られただけで済んでいたのですけど、この「OS編」では最も恐れていた(あってはならなかった)現代でのマルバスの拡散が起きてしまった(この辺りは検疫のお粗末さが問題なんだが) という事がポイントですね。

 そして他のヒロインを押して美琴と直樹が「OS編」の主役となった理由は、ほなみん人気に対する美琴への補正かなとも思ったりしてます(苦笑)。それにそもそも『はにはに』という舞台が動き出すきっかけとなったのが美琴が空から降ってきて直樹を直撃したからであり、ならば終幕の役も担えと(笑)。

 あと美琴と直樹の二人が揃って感染した上で免疫を得るという展開を用意できるかという事もあったかと思います。
 詳しい検証をするとなると部屋からDCを発掘してリプレイするしかないので以下略となるのですが(マテ)、とりあえず言えるのは、二人揃って祐介という感染者と出くわしてしまう事と、未来の病気であるマルバスとそれに対抗する為に未来から避難してきた集団組織 (避難計画「オペレーションサンクチュアリ」)を知っているか、という二つの条件が求められ、両方を満たすのは美琴だけだという事です。
 お膳立ては出来た。あとは一緒に祐介に飛び掛って感染(w)。

 原作PC版における感染者(祐介)からの感染については 2003年10月29日付でまとめてあるんですが(まとめててよかったぁ) 揃って祐介と出くわす保奈美のパターンについては対処法を知る恭子先生の立ち会いで起きた事から余程のことがない限り2次感染は恭子先生によって防がれるかと思う。
 ちなみに茉理の場合は一人で(直樹と勘違いして)怪我で出血している祐介を治療した為に血液感染してます。そして美琴の場合は直樹と二人だけで祐介と対峙しており、原作では恭子先生も立ち会ったことから感染の危険も無く危機を回避してます。この時点で直樹と揃って対峙していなかったという点で茉理は除外。
 次にマルバスという現代では発症していないことから未知の病原体との関わりの程度で振いにかけることに。そうなると未来から来た美琴が唯一となります。
 他に未来人というとちひろも居るんですが、この子の場合は現代において感染者と接する機会が茉理が感染した場合以外には無いので、自身が感染する危機に直面する事は無いですね。
 とりあえず細かい検証はDC版『はにはに』を起動しないとちょっと無理です今すぐは(汗)。

 一応、CS版で追記されたシナリオはオーガストの監修は得ているはずですし、 PC版では描かれなかった展開にチャレンジした点でそれなりに評価しても良さそうに思えます。マルバスが拡散し茉理を含む直樹の家族だけでなく保奈美や寮にいるちひろなどにも感染が広がる危機感は『バイナリィポット』でのワールドの崩壊以上の展開となってますし、深野先生も男泣きの見せ場を作ってますよ。

 強いて不満を挙げるなら、歴史の改変により未来に関する事象が「無かったこと」として消失するにも拘らず、美琴が問題なく現代に舞い戻ってくるというラスト。
 未来の喪失はそれこそ過去における直樹と祐介が分裂してしまう(未来人が起こした)事故にも関わる重大な事態であり、それこそ出来事の連鎖に繋がれた切り離し不可のループ全体の崩壊の引き金となりうる。故に未来人が過去に引き起こした事態が未来人の喪失によってどう修正されるか、何らかの説明がないと、ただ単に美琴が空から舞い戻ってくるというお約束を無理やり置いて終幕とした、とした印象しか残りません。
 この辺りについては「喪失感の後の思いがけない回復という展開」という詰めさえしっかりしていれば、開幕と終幕を担い、未来と現代と過去を繋ぐものとして、そしてオペレーションサンクチュアリとマルバスの戦いをPC版とは違う形で描いたものとして、この美琴編+OS編はそれなりに評価されたんじゃないかと思いますね(トゥルーエンドに準じるものとして)。

不定期『はにはに』日記の方で『はにはに』・オーガスト関連記事のあるページを色々とまとめてます。

(10/5 3:35 『はにはに』に関してはもう結構忘れている部分が多いと実感orz)

※とりあえずCS版での美琴エンドとOS編との分岐点をリプレイして見てみないと、 OS編のヒロインが美琴である必然性の条件ひとつが確定にならないんですよ(汗)。恭子先生が駆けつける前に飛び掛ってしまい感染したとなれば、保奈美編でも感染と免疫収得が起きうるんだろうし。

 で、今回改めて思ったのが、過去ログを見ると『はにはに』はPC版についてはかなり検証しているものの、 CS版への検証は不十分だったという事。多分2004年8月の感想は深くは掘り下げてないはず。

 その辺りについては時期的に言うと色々な事があった時期でしたし(苦笑)。知っている方は知ってらっしゃるかとは思いますが、 DC版発売前日(初同人誌の下絵が何とか上がった日の翌朝)に車に跳ねられて腕を骨折してます。で、粉砕したメガネを買い直すより先に予約してたDC版『はにはに』を購入してリハビリしながらプレイ(大体2週間ぐらい)。それから入稿限界点に間に合うように同人誌の仕上げをしたり夏コミでの初めてのサークル参加のための色々な準備もあったり、あとネット環境が夏コミ直前までパソの故障で断絶してたりで、プレイだけしたという状況だったかと。更には2004年8月の末には『オーガストファンBOX』の発売もありましたから話題もシフトしてましたしね。

※「マルバス」と「現代と未来の関連性(?)」の問題は2003~2004年頃の『はにはに』考察の中でも最も盛んだった議題でしたから、水上さんも加わってますよ。確か『ドラゴンボール』での並列世界とかは水上さんが事例として解説されてたかと。多分、ウチだけ二つの時間軸が並んでいる「並列世界」説を唱えて離れているはずの現代と未来とが隣接すると主張してたかと。

 CS版の新規追加シナリオ部分も時間でもあれば出来ない事は無いですが(汗)。

(10/5 23:50 本文を少し追記したり水上さんの5日付への反応を書き加えてます)

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『ブルースカイ』読了

※通勤中に第3章を読み終えたので『ブルースカイ』読了したものの、 色々と設定が放置されていたり理解するには難解な部分が多い。
 特に難解とするラストシーンについては 「少女性」の永続を死による停止で図ろうと発想したと見ることも出来るんですが、 そのような停止が単に自身の脳における記録が停止する事でしかなく、 死の後にも時間が経て朽ちていくという事実を見過ごしているという点でその短絡的な発想は理解しがたい。 また自身はラストシーンでは高揚する余り、一緒に落ちていく人々皆と同じような考えを抱き、 繋がっていると思い込んでいる(落下と確実で急速な死に恐怖する人も居たはず)。
 ただ、その短絡さという幼さと、短い青春に思い悩み、日々の時々をこなしていくしかない刹那性にその発想が起因していると考えれば、 その未熟性という意味での「少女」的な思考を理解する事は出来る(許容するかどうかは別として)。

 この作品を読む上で、特に時代の超越という部分でなんとなくヒントがあるかもしれないと思うので(外れているとは思うが)、 次に読む本は青空のような青い紙を中央に挟むように前後で異なる時代が描かれているパヴィチの『風の裏側』にしてみます。

(10/5 0:45 とりあえず見落としもあるので仮の感想)



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