映画『CLANNAD』見てきました。
※映画『CLANNAD』広島東映公開初日に行ってきました。
初日の上に一日1回という上映密度のため、人が多いかもと思って早めに映画館に赴きましたが、 入場券販売開始は17:00となってましたので、その間にショップ巡り。
とらのあなでは丁度『幕張サボテンキャンパス(サボキャン)』のみずしな孝之さんがサイン会を開催してましたが……『サボキャン』ってずいぶん前まで持ってたんだよねorz
時間調整して17:00にそこそこ並ぶ列に加わり入場券購入、 そしてまたとらのあなに出向いてからアンデルセンで軽く軽食とって18:00に会場入り。 入場者数はカウントしてませんが半分ぐらいの着席率ですな。
最初に映画関連のCDのCM、そして古河 渚が上映中の注意事項を拙く説明し、 最後に映画盗撮についての啓発CM…カメラ人間の怪しいダンスが流れてから(苦笑)やっと本編が開始です。 っていうか次回上映作予告が皆無というのも珍しいですな。
一応、見にいく前から触れている事ですがウチは原作未プレイ、 正確には1周目の途中で登校拒否に陥り中断してます (何でゲームで毎日学校に通わないといけないんだという理由)。 なので、原作と映画版とでどう違うとか、原作での重要シーンがカットされているかどうかについては全く感知できません。
またTVアニメ『Kanon』『AIR』は元より『CLANNAD』も広島で放映されてないので見たくても見れません。
出崎監督作品については数年前にNHKで放映の『雪の女王』は全話見てますが……。
主人公・岡崎朋也の家庭事情の説明の後、登校途中の桜並木の坂で朋也が古河 渚に唐突に声を掛けられ、 その後ろをついて行くという余りに唐突な出会いから物語が始まります…… それからの渚の少し独創的な振る舞いは悪友・春原陽平のエキセントリックなリアクションと共に 作品への不安要素に。
他、過剰表現や必然性の感じられない余分に思えるショートシーンもありましたが、 それは原作の聞き伺っているボリュームに対して映画は1時間半という短さとなっている為、 ウチが単に気を焦らしていたに過ぎないかも。
まぁいずれにしても途中からは気にならなくなり、 陽平の行動は古河夫妻と共に後半の重い展開に対する中和剤的効果を微力ながら持つんですけど。
ここでちょっと3つの階層を整理
冒頭の中で朋也の長年見る夢があり、 その「幻想世界」が時々話に割って入るのですが、 しかし途中で「学園編」部分も実は過去の話だと…… (冒頭部で既にその「AFTER STORY」シーンが登場してたんだけど後で気付いた)。
「幻想世界」については朋也にとっては永遠に続く寝苦しい悪夢のような存在だったんだけど、 渚と関わる事により夢の中で展望が開け、 そして渚の一人演技の舞台で彼女が見る夢が到達したものが朋也の追っていたそれであることだと判明。
朋也と渚の二人が幸せを掴んだはずの「AFTER STORY」であのような悲劇が内包されているとは。
「幻想世界」の到達目標を現実世界で見つけたことでその永遠のような苦難の道を歩む (だが悪夢とは言い切れない)夢が完結。しかし渚の死によって今度は現実が永遠の悪夢のように、 現実で逃れるすべのない悪夢が朋也を追い詰める事に。そう、まるで朋也の父親の生き様を再生するかのように。
原作とはかなり違うとは訊いていたので不安はあり、 そして演出面の過剰さが目についたりなど実際に前半部ではどうしようかと思いはしましたが、 最後まで見終えた感想はある一点のテーマについてブレる事無く描かれていたなという事ですね。
そもそもこのタイトルの意味自体も「家族」なので当然ともいえますが、 長大とされる原作(1シナリオの読量時間は分からないけど)を1時間半の枠に再構築し、 そのテーマに絞り込んで描き通せた事は賞賛に値するかと。
初日の上に一日1回という上映密度のため、人が多いかもと思って早めに映画館に赴きましたが、 入場券販売開始は17:00となってましたので、その間にショップ巡り。
とらのあなでは丁度『幕張サボテンキャンパス(サボキャン)』のみずしな孝之さんがサイン会を開催してましたが……『サボキャン』ってずいぶん前まで持ってたんだよねorz
時間調整して17:00にそこそこ並ぶ列に加わり入場券購入、 そしてまたとらのあなに出向いてからアンデルセンで軽く軽食とって18:00に会場入り。 入場者数はカウントしてませんが半分ぐらいの着席率ですな。
最初に映画関連のCDのCM、そして古河 渚が上映中の注意事項を拙く説明し、 最後に映画盗撮についての啓発CM…カメラ人間の怪しいダンスが流れてから(苦笑)やっと本編が開始です。 っていうか次回上映作予告が皆無というのも珍しいですな。
一応、見にいく前から触れている事ですがウチは原作未プレイ、 正確には1周目の途中で登校拒否に陥り中断してます (何でゲームで毎日学校に通わないといけないんだという理由)。 なので、原作と映画版とでどう違うとか、原作での重要シーンがカットされているかどうかについては全く感知できません。
またTVアニメ『Kanon』『AIR』は元より『CLANNAD』も広島で放映されてないので見たくても見れません。
出崎監督作品については数年前にNHKで放映の『雪の女王』は全話見てますが……。
主人公・岡崎朋也の家庭事情の説明の後、登校途中の桜並木の坂で朋也が古河 渚に唐突に声を掛けられ、 その後ろをついて行くという余りに唐突な出会いから物語が始まります…… それからの渚の少し独創的な振る舞いは悪友・春原陽平のエキセントリックなリアクションと共に 作品への不安要素に。
他、過剰表現や必然性の感じられない余分に思えるショートシーンもありましたが、 それは原作の聞き伺っているボリュームに対して映画は1時間半という短さとなっている為、 ウチが単に気を焦らしていたに過ぎないかも。
まぁいずれにしても途中からは気にならなくなり、 陽平の行動は古河夫妻と共に後半の重い展開に対する中和剤的効果を微力ながら持つんですけど。
ここでちょっと3つの階層を整理
冒頭の中で朋也の長年見る夢があり、 その「幻想世界」が時々話に割って入るのですが、 しかし途中で「学園編」部分も実は過去の話だと…… (冒頭部で既にその「AFTER STORY」シーンが登場してたんだけど後で気付いた)。
「幻想世界」については朋也にとっては永遠に続く寝苦しい悪夢のような存在だったんだけど、 渚と関わる事により夢の中で展望が開け、 そして渚の一人演技の舞台で彼女が見る夢が到達したものが朋也の追っていたそれであることだと判明。
朋也と渚の二人が幸せを掴んだはずの「AFTER STORY」であのような悲劇が内包されているとは。
「幻想世界」の到達目標を現実世界で見つけたことでその永遠のような苦難の道を歩む (だが悪夢とは言い切れない)夢が完結。しかし渚の死によって今度は現実が永遠の悪夢のように、 現実で逃れるすべのない悪夢が朋也を追い詰める事に。そう、まるで朋也の父親の生き様を再生するかのように。
原作とはかなり違うとは訊いていたので不安はあり、 そして演出面の過剰さが目についたりなど実際に前半部ではどうしようかと思いはしましたが、 最後まで見終えた感想はある一点のテーマについてブレる事無く描かれていたなという事ですね。
そもそもこのタイトルの意味自体も「家族」なので当然ともいえますが、 長大とされる原作(1シナリオの読量時間は分からないけど)を1時間半の枠に再構築し、 そのテーマに絞り込んで描き通せた事は賞賛に値するかと。
(10/21 2:25 感想が上手くまとまらずorz)
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