« 『オーガストバラエティBOX』が届きました~♪ | トップページ | 「さくらシュトラッセ」本『Chrryblossom』 »

2008年10月11日 (土)

修智館学院はいつから男女共学となったのか(推測)

 (関連 ハーヴェストノヴェル版『フォーチュン アテリアル 桐葉編』)

※ハーヴェストノヴェル版の『フォーチュン アテリアル 桐葉編』で掲載されている Pikazoさん(P-POINT)の4コマの中に、 「大正時代でも伊織が学院美人コンテストの司会をしていて桐葉が優勝」 というネタがあったのですが、その時代には
“日本では、明治時代以降、第二次世界大戦降伏の時期まで、就学前教育(幼稚園など)と初等教育(小学校、国民学校など)を除いて、「男女別学」が主流であった”
“尋常小学校の1、2年だけを共学として、3年生以降は男女別学とし、男子と女子とでカリキュラムも教科書も全く別な物とすることが、各学校に公立、私立の区別なく義務付けられたのである”
 (男女共学 - Wikipedia)
と国家レベルで決められていた事から「男女共学」はありえない、っと思って調べてみました。

 ちなみに『フォアテリ』の作品内では学園創設からの歴史についてはほとんど登場してない事と、 パーフェクトビジュアルブックの資料にも記載がない為、 いつから修智館学院が「男女共学」となったかの記述もありません。


 で、明治大正期には本当に「男女共学」はなかったのかというとそこは結局明確な回答は見つけられてないんですが、 別な形で近いものが今ある事だけ判明しました。その形態が「男女別学」というものです。
“男子か女子のいずれか一方のみを教育の対象とする学校のこと”
“男子と女子の双方が在学しているが、教室や校舎などが分かれている学校”
  (男女別学-Wikipedia)
 一部で教育の場だけ男女別にしている私立高があるらしいですが、具体的なものは見つけられなかった……。


 という事なのでここからは本当に都合いいところを集めただけの推測なんだけど(汗)
※大正期に男女共学はないものの、その地域唯一の高等教育施設であれば「男女別学」 として別々の敷地若しくは別々の校舎・寮に男女を分けて修学させていた可能性はありそう。
という可能性ぐらいはもしかしたらあるかもしれないです。
 上記の条件を完全に満たしませんが、少し調べたら東北地方地方都市の公立学校で創設時期は三十年近い隔たりがあるものの(終戦以前の創立)、 かなり近い所に名前がよく似た男子校と女子高が存在してました。 それ以外でも学校法人同志社が戦前より男子校と女子高を別々に運営しているケースもあります。


「修智館学院」の置かれている環境を見てみますと次の点が見られます。
■修智館学院は離れた所に2つの敷地を持つ。
■その前身の創設が江戸時代末期だった事もあって、島にある高等学校施設としては唯一のものと思われる。
■1888年に学費・寮費の8割を負担する奨学金制度を整備、1891年にほぼ全寮制に移行。
 この学院の特徴である「2つの敷地」の存在は、かつて「男女別学」で教育を行っていた痕跡かもしれない。 恐らく「男女共学」が解禁された戦後からは、同じ教育を施す為の効率化から 「前期」「後期」に分けなおした。といった推測です。
 2項目の島唯一と思われる高等教育施設という点については、 島という閉ざされた環境(限られた人口)にある事と修智館学院の存在から、 別の学校法人や公立学校が進出するような余地がほとんどないと言える。


 いや、その余地は本当になかったんだろうか。
 少なくとも公立の高等教育学校ぐらいは存在していてもおかしくない。 オーガスト作品では背景画に人が描かれてなかったり(主人公の関心の範囲外だから映ってないものとウチは推測) する事があるから、もしかするとほとんど関わりがない為に映っていないだけかもしれない。
 しかし……一番可能性が高いのはやっぱり千堂家の思惑によって全島民の学生層を全て集めようと意図した可能性だろうなぁ(苦笑)。 第3項の奨学金制度の創設なんかはその積極さを表わしていると思う。

■男性の吸血鬼の生息環境を用意する為に女子学生も必要とした(かも)。
■全寮制による閉鎖性。外部との接触の制限。
 千堂家の思惑(真の目的)は女性の血を得る点では伽耶も伊織も一致しているんだろうけど、 (世間を見聞してそれなりにリアリストでもある)伊織の方が快楽主義的思惑との両立を図りつつ、 楽しい学院の永続の為に関わっている事から、伽耶と伊織とは別の思惑でいるんだろうけど。


 まとめとしては(繰り返しで申し訳ないけど)
■修智館学院は離れた所に2つの敷地を持つ事から「男女別学」による運営が可能。
■その前身の創設が江戸時代末期だった事もあって、島にある高等学校施設としては唯一のものと思われる。
■男性の吸血鬼の生息環境を用意する為に女子学生も必要とした(かも)。
■1888年に学費・寮費の8割を負担する奨学金制度を整備、1891年にほぼ全寮制に移行。
■戦後の「男女共学化」から、2つの敷地を「男女共学」とした上で「前期」「後期」に再編された可能性
ということから「男女共学」ではなく「男女別学」で戦前の修智館学院は存在していた事は推測できますね。 更に踏み込むと、千堂家の真の目的を考えるともう創立段階から「男女別学」での運営だったのかもしれないです。  で、命題にあった「男女共学」化の時期については明確にするならやはり戦後からでしょう。

(10/11 12:40)



|

« 『オーガストバラエティBOX』が届きました~♪ | トップページ | 「さくらシュトラッセ」本『Chrryblossom』 »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 修智館学院はいつから男女共学となったのか(推測):

« 『オーガストバラエティBOX』が届きました~♪ | トップページ | 「さくらシュトラッセ」本『Chrryblossom』 »