虚淵玄さんの『アイゼンフリューゲル(2)』をたった今読了したこの興奮と
※帰宅するバスの車内でクライマックスの始まりまで踏み込み、帰宅の後の食後に続きを読み始めたらそのまま一気に読破してた。
『アイゼンフリューゲル(2)』初のジェット航空機を手にし、人知を越えた速度で駆る帝凰龍(カイザードラツヘ)にも追いつく翼を得たカールは、 しかしながら決別したはずの過去と否応なく直視させられ、そして過去から今に至るまでを振り返っていた。 ただその思いと現実とは乖離したままに。
著/虚淵 玄さん イラスト/中央東口さん
(小学館ガガガ文庫)
第1巻では読み始めこそ「飛行機バカ」たちの物語でしたけど、 龍と競う為の人類初のジェット航空機が軍用に転用可能な代物であり、カール自身も、 かつて空の英雄でありながら空を殺戮の場としてしまった事などの罪悪感から栄誉を棄てて(空さえも棄てようとして) 今に至っている事が明かされたことによって、飛ぶことの意味や意義が問う重いものとなりました。
それこそ軍を棄てて世捨て同然となったカールが再び空に戻ろうと決意した過去さえも、 天を突く領域にある龍のコロニーの様に断片的な幻影であるかのように。
そうして迎えた第2巻でしたが……。
(敵国とも開戦となっても)武装を積んでのテスト飛行を繰り返すだけでやはり何ともいえない空気が漂い続け、 それこそカール自身の心境のようでした。帝凰龍にも問われても答えを見出せない有様。
期限ない惰性の突然の終わり、敵国の想像外の新兵器による侵攻と首都の危機、 カールは戦乱のなか生き残り、帝凰龍への答えを見出せるのだろうか?
と、ネタバレ無しで書くのが難しい(汗)。
ともかくカールの最後の大舞台という興奮の後にそんな展開が控えているとは思いも寄らなかったです。 何この「王立●●軍」。というかそのアニメ(ネタバレ絡むので伏せ)を初めてテレビで見た時のような興奮が、 あのクライマックスの後に湧き上がるとは。
終幕に至るまで何が物語られているのかは沈黙するとして、 ただ、人類の進化と人々の進歩、一人の物語はこれらを一身に描き出したとだけは言える。 そしてこの物語の答え、帝凰龍への答えは本当に単純で原始的で、それでいて尊い意味で重く、深い。
『Fate/ZERO』の時といい『ヴェドゴニア(ノベル版)』といい、この虚淵さんが描く物語は、自分の知る限りどれも最後は重く深い終幕を迎えるような気がしますが、 今回はそれらとはやはり違った味わいが残ります。
最後の文字から目を離して、「終わっちゃった」と読後感に浸ったまま、チラシの「ガ報」を明けてみたら……
2月刊ラインナップ 『ブラックラグーン(2)』 著:虚淵玄よし2月が楽しみだ。またこの人のテキストが読める。
(2009年12月22日 0:18)
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