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2022年11月30日 (水)

岩波文庫版『サラゴサ手稿』完訳版で漸く見えてきた、これまで知られてこなかった長い研究の経過

※『サラゴサ手稿』を知る最初のきっかけは、1993年に刊行され1995年頃に手にしたミロラド・パヴィチの『ハザール事典』の翻訳でその名を知った工藤幸雄氏でした。そして1995年に刊行されたパヴィチの『風の裏側』翻訳版の付録冊子で翻訳者の方が、恩師だという工藤幸雄氏が翻訳したもう一つの書物としてその作品を書き記したのです。
 当時翻訳された海外幻想文学をいくつか読んでいた自分は当然のごとく『サラゴサ手稿』も読んでみました(大学図書館から借りて)。更に1999年になってその完訳版が刊行されるとの話を知ると、いつ出るのだろうと心待ちしていたのです。ところが……それからまったく音沙汰がなくなってしまったのです。

 しかし2022年11月中頃になって、ツイッター上で思いもしない情報を目にしました。それが岩波文庫から畑浩一郎氏翻訳による『サラゴサ手稿』の中巻が刊行されるという情報でした。しかも新訳で完訳! 実に42年もの時を経て! 上巻はすでに9月に出ていたというのです。その数日後には早速買い揃えました。下巻は年明けの1月とのことです。

 ただ、その刊行を初めて知った時、その突然の驚きと共にそれが「六十一日間」の内容だと書かれてあった事に対して「「六十六日間」では?」と思ってました。
 というのも、長年待ち望んでいたその完訳版が「六十六日間」だと伝え聞かされていたからです。

 こうして思いがけず手にすることになった新たな『サラゴサ手稿』は、まだ少し読み始めたばかりで内容はまだこれからなのですが、先に目を通した翻訳された畑浩一郎氏による解説で、長らく謎だったいくつもの事が明らかになったり推測できるようになりました。
 そこで備忘録もかねてここに書き記してまとめることにしました。

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『サラゴサ手稿』とは19世紀にポーランド貴族のヤン・ポトツキがフランスで発表した書です。ナポレオン軍のスペイン・サラゴサ包囲戦に参加したフランス軍士官が占領後のサラゴサで立ち寄った館で偶然手にしたスペイン語の帳面。
その後にスペインに捕らわれた際、スペインの大尉にその帳面をフランス語で口述してもらい、それを書き取ったのがこの手稿である、という体裁になっていて、その内容は、スペイン国王フェリペ五世からワロン人衛兵隊長に任命されたアルフォンソがアンダルシアからマドリードを目指す旅の道中で出くわす奇妙な物語、となってます。ただ、作者の生前までに刊行されたのは十四日間までに過ぎない……。


◆邦訳された『サラゴサ手稿』についてはこれまで、国書刊行会の世界幻想文学大系に収録された1980年刊行の工藤幸雄氏が翻訳された書籍が唯一でした。自分も大学時代にその存在を知って、大学図書館で何度か借りたりコピーを手元に残したり、卒業から数年後には神田の古書店で遂に手に入れたりしていました。

 この書籍(仮に世界幻想文学大系版と呼ぶ)はその巻末にある訳者が記した「ヤン・ポトツキについて」のP319によると、“ロジェ・カイヨワによる再発見のおかげでフランス語版が刊行されたのち”パリで普及した文庫版(1958年※カイヨワ版)を入手して“二十年あまり”かけて“他国にはるかに遅れて今ようやく、拙訳ながら上梓できた”のだそうです。また訳出に当たって、“ククルスキ教授監修のポーランド語版を参照”したと書かれてます。

 ただ、この世界幻想文学大系版『サラゴサ手稿』には「十四日目」までしか収録されていません。「ヤン・ポトツキについて」のP318には、元になったフランス語版も、“十四日まで収録した前半を訳し、『アバドロ、イスパニア物語』としてジプシー酋長の話だけをむりにまとめた後半は省いた。これはククルスキ教授の考証によれば「発行者の手が入りすぎており、きわめて信を置きがたい」とされる部分である”と書かれてます。

「ヤン・ポトツキについて」のP318では“全体の五分の一に過ぎない”分までしか訳出しされていない理由として

“作者の生前に発表された部分が、十三日どまりにすぎないので、この「日本語訳」はほぼそれに則ったもの”
六十六日の物語は、まだいちども原作のフランス語では出版されぬままであり、筆稿の一部が失われた今では、もはやそれは望めない”

とあります。「六十六日間」と触れているのはここです。


◆ここまでが工藤幸雄氏翻訳の『サラゴサ手稿』が「十四日間」である経緯であり、恐らく1980年に世界幻想文学大系から出され図書館に並んでからは、これが一般で確認できた基本情報だったと思われます。

 青木順子氏が翻訳されたミロラド・パヴィチの『風の裏側』(1995年東京創元社)の訳者が書かれた付録冊子の付記では“本書(「風の裏側」)に抜粋引用されているポトツキの『サラゴサ手稿』については、恩師である工藤幸雄氏の翻訳で読むことができ、文体および訳文の参考にさせていただく幸運に恵まれた”と触れられてます。
『幻想文学論序説』(1970年ツヴェタン・トドロフ著 三好郁朗訳 1999年創元ライブラリ)では参考書籍に挙げられてます。


◆そして工藤幸雄氏が新訳で「六十六日間の完全版」を準備されていると知ったのが1999年の時でした。

“本書が幻想文学の典型的作品にあげているポトツキの『サラゴサ手稿』が、同じこの創元ライブラリに収められることになった。このたびの新訳(工藤幸雄訳)は、物語の六十六日目まで、すべてを含む完全版と聞く”
『幻想文学論序説』(1999年7月12日付けの訳者あとがき p260より)

 これを目にしてから本当に長く待ち望まれていました。それこそ、新刊発売予定表や大型書店の「創元ライブラリ」の棚を時々確認したりする感じで。2008年7月5日の工藤幸雄氏死去の報に触れてからも、その遺稿が残されているのではと信じていました。

 

◆2022年9月より刊行され始めた岩波文庫の畑浩一郎氏新訳完訳の『サラゴサ手稿』にある解説では、それにまつわるいくつもの事実が初めて明らかとなりました。

 中巻の訳者解説2「『サラゴサ手稿』の来歴」で、工藤氏の世界幻想文学大系版「ヤン・ポトツキについて」よりも詳細に、そして恐らく2022年時点最新の情報で、それだけでも一つの物語になりそうな『サラゴサ手稿』にまつわる波乱の歴史がまとめられてます。


◆その中では、工藤氏が翻訳元とした1958年のフランス語版である(ロジェ・)カイヨワ版について触れられています。
 ポトツキの書いていることが判明している十四日目までを収録した「カイヨワ版」は、その刊行が“文学的価値を決定づけることになる。その反面、この版が小説の評価・分類をミスリードしたというマイナス面も無視できない”続いて“カイヨワによって公開された箇所は、小説の中でもとりわけ幻想的な演出が施されている部分であり、(中略)フランス語で書かれた幻想小説の先駆と見なされてしまうのである”と「『サラゴサ手稿』の来歴」では記されてるのです。

 この解説は『サラゴサ手稿』のこれまでの「幻想文学」とされていた立ち位置を根底から覆す指摘でした。
 事実、工藤幸雄氏による最初の翻訳は「世界幻想文学大系」として1980年に収録され、表紙には“戦後カイヨワにより再発見され、トドロフがその著「幻想文学」で緻密な分析を付した”とありますし、そのトドロフも1970年に刊行した『幻想文学論序説』の中で盛んに「幻想文学」の事例として『サラゴサ手稿』を取り上げてました。自分自身もそうだと信じてたくらいです。
 その根本がどのように改められるのかは、実際に今回の畑氏の完訳を読み進めていくことで体験することとなるのでしょう(まだ第一日目を読み始めたばかりなので)。


「『サラゴサ手稿』の来歴」はまた、「六十六日間」についても触れています。
『サラゴサ手稿』はポトツキが“二十年以上にわたって小説を書き続け”ていた為に“執筆時期の異なるさまざまな自筆原稿、秘書による写本、校正刷などが膨大に残され”、その草稿が“文字通りヨーロッパ各地に散らばっている”そうです。
 その執筆時期などがバラバラなパズルのような原稿を、研究者がなんとかまとめて1989年に刊行されたのがジョゼ・コルティ書店の「コルティ版」です。これによって“フランス語で『サラゴサ手稿』の全体が読めるようになった”のだそうです。ただこの「コルティ版」では“どうしても解消できない欠落箇所が残る”ことから、ホイェツキによる1847年のポーランド語版を参考に補ったという。そうして出来上がった「コルティ版」は“小説は全部で六十六日を数えることに”なりました。


 工藤幸雄氏は1980年の時点で“六十六日の物語は、まだいちども原作のフランス語では出版されぬままであり、筆稿の一部が失われた今では、もはやそれは望めない”と記してました。それが1989年の「コルティ版」でおおよそ達成されていたわけです。先の『幻想文学論序説』訳者あとがきを合わせて考えると、1999年頃までに工藤氏が新たに手掛けたという「六十六日間」の完訳版とはこの「コルティ版」だと思われます

 しかし、1999年以降、自分の把握できる限りでは全く音沙汰がなくなります。2008年の訃報でも公に話題が触れられてませんでしたし。もしかしたらそれなりの専門研究者レベルの情報網でなら何かがあったかもしれませんが……。


「『サラゴサ手稿』の来歴」が初めて明かす極めて重大な出来事は二十年前の2002年に起こりました。その年“ポーランドのポズナニで調査を行っていた二人の研究者(フランソワ・ロセとドミニク・トリエール)があらたに六篇のポトツキの草稿を発見”し、“『サラゴサ手稿』には少なくともふたつの異なるバージョンが存在する”事が分かったのだそうです。
「『サラゴサ手稿』の来歴」ではそれら「一八〇四年版」「一八一〇年版」と、更に面白いことに“製紙された年が漉入れされた特注の紙”で草稿を書いていたことで判明した「一七九四年版」という最初期バージョンまで、収録された内容の違いや絞り込まれていく過程などが記されてます。そして「一八一〇年版」で“作品内に張りめぐらされていた数々の伏線が回収され、第六十一日において物語は遂に大団円を迎えている”のだそうです。

 これらの成果により、「一八〇四年版」と「一八一〇年版」は2004~06年にベルギーで刊行された『ポトツキ全集』と2008年の「ガルニエ・フラマリオン版」として刊行されたのだそうです。

 2008年といえば工藤幸雄氏が亡くなられた年です。もしかすると「コルティ版」による完訳版を準備するうちに、2002年以降に以上の新発見に触れてしまい、その新発見の成果を待つうちに……という事で、「コルティ版」による「六十六日間」の完全版はお蔵入りとなってしまったのかもしれません。


 しかし、そのようなドラマチックな出来事は一般読者には知る由もありませんでした。そして1999年から23年、2002年から20年目の2022年の春頃には岩波書店の方で『サラゴサ手稿』完訳の刊行が告知されていたのです(これにも自分は当時気付いてませんでした)。


岩波文庫から出された畑浩一郎氏新訳完訳の『サラゴサ手稿』は「六十一日間」が描かれた「一八一〇年版」です。工藤氏のでは「十四日間」までしか訳されてませんでしたから、その日付より先は(これから読み進めていくところなので)今は全くの未知の世界となります。果たしてどのような大団円を迎えるのでしょう。楽しみでなりません。

(2022年11月30日01:14)

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