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2023年11月16日 (木)

見失われたもうひとつの全訳『サラゴサ手稿』を求めて

◆『サラゴサ手稿』について

 18~19世紀に生きたポーランドのヤン・ポトツキによって書かれたものの、長く未完全のままだったフランス語の長編小説『サラゴサ手稿』。それは大まかに伝えるなら次のような物語です。


 スペインの国王フェリペ5世からワロン人衛兵隊長に任命され、拝命の為にマドリードに向かう騎士のアルフォンソが道中のスペイン南部シエラ・モレラ山脈をさまよう中で出会う、様々な人たちとそれらの語る数々の物語、更に物語の中の人物の語る物語。
 ナポレオン軍のサラゴサ包囲戦に参加したフランス軍将校が回収したそれらの物語が書かれたスペイン語の草稿を、フランス語に訳したもの。
 
 語られる物語の中には不可解不可思議な出来事もある事から、この『サラゴサ手稿』はフランス語幻想文学の先駆だとみなされるなどされてきました。更に、未完のまま作者自身の印刷で1805年に地下出版された書物に始まり、欧州各地に散った原稿を搔き集めて何度も編集出版が試みられてきましたが、それでも不完全な物語に留まっていた為に、より完全な姿に蘇らせようとした試みが幾度もあった事から、世紀を超えて長く関心が寄せられてきたのです。

 この未完成の物語は部分的にでしたが1980年に国書刊行会「世界幻想文学大系」『サラゴサ手稿』(工藤幸雄氏翻訳)で初めて日本で紹介されました。そして1990年代終わりごろより、(その少し前に出版された完全版だとされた本を元に)工藤氏によって完全な物語が完訳され、近く出版されるとされてきました……2023年現在に至るまで出版されていませんでしたが。

 しかしその間に、この『サラゴサ手稿』は2002年の新たな自筆原稿の発見で完全な姿に完成となったのです。それは2004年より海外で出版され、2022年9月・11月、翌年1月、岩波文庫より畑浩一郎氏翻訳のヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』完訳として上・中・下の3冊で刊行されたのです。

※こちらの上・中巻を手にしたちょうど1年前の去年11月末に、「岩波文庫版『サラゴサ手稿』完訳版で漸く見えてきた、これまで知られてこなかった長い研究の経過」という記事をまとめてました。

 

 

◆見失われたもうひとつの全訳『サラゴサ手稿』を求めて

 こうして完訳を手にした今、それではあの工藤氏(2008年没)の完訳はどこにいったのだろう? そんな疑問が先月(2023年10月)に不意に沸き上がりました。そこで『サラゴサ手稿』について先月辺りから調査を再開して地元の図書館で手にする事の出来る情報を集め始めたのです。

 ただ、それらを元にこれから書きますのは、寄り関心を持っていた方なら多分2004年ぐらいに、国内出版物から辿れば岩波文庫版の中巻が刊行された去年の今頃には既に調べることが可能だった(すでに調べがついているはずの)内容が中心になるかと思います。特に自分の場合、工藤幸雄氏が亡くなられる2008年までのインタビュー記事や回顧録(読めているのは1冊のみ)について、この度、国立国会図書館のデータベースや地元図書館での検索などで今更になって存在を知ったという体たらく、かなり出遅れてしまった有様ですので。

 今回、これまでに刊行された国書刊行会と岩波文庫のふたつの『サラゴサ手稿』にある解説での情報を元に、これまでに出版などされた『サラゴサ手稿』のバリエーションを整理しつつ、長らく幻となっている全六十六日の全訳『サラゴサ手稿』についてまとめてみたいと思います。

※以下にテキスト表題と収録書籍を挙げます。(色で引用テキストを見分けるようにしてます)

「ポトツキ論」:
国書刊行会「世界幻想文学大系」『サラゴサ手稿』(工藤幸雄氏翻訳 1980年)の巻末に収録

他、工藤幸雄氏の記述も

「『サラゴサ手稿』来歴」:
岩波文庫『サラゴサ手稿』(畑浩一郎氏翻訳 2022年)中巻「訳者解説2」のこと

 

 

◆六十一日 2002年/2022年

 2022年から翌年にかけて、岩波文庫より畑浩一郎氏翻訳のヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』完訳が全3巻で刊行されました。
 この完訳は2004年から刊行された完全版を底本にされてます。それは先立つ2002年にあった『サラゴサ手稿』研究での重要な発見などの成果から完全な姿に再現されたものです。

 2002年、“ポーランドのポズナニの古文書館で調査を行っていたフランソワ・ロゼ(ローザンヌ大学教授)とドミニク・トリエール(モンペリエ大学名誉教授)というふたりの研究家が新たなポトツキの自筆原稿を発見(上巻「訳者解説1」の略年譜)”しました。そしてそれらを調査する中で“ポズナニにあるポトツキ家の書庫でヤン(ポトツキ)の残した自筆原稿を精査(下巻「訳者解説3」P450)”して、新たな事実が判明したのです。

“(ポトツキには)製紙された年が漉入れされた特注の紙を使う習慣があった。~紙はその年のうちに無くなるか、あるいは遅くとも翌年には全てが使い切られている。そのおかげで、それぞれの草稿の執筆時期についてかなり正確に把握できる”(中巻「訳者解説2」)

 ふたりによる新たな研究の成果によって、これまで幾度も『サラゴサ手稿』の姿を求めながら不完全だったのは、“物語の整合性、一貫性に関する問題は、小説にはひとつの形しかないと考えるから生じるのであり、実は『サラゴサ手稿』には少なくともふたつの異なるバージョンが存在することが分かった”のです。

「一七九四年版」
“1791年頃から書き始められ遅くとも1794年には、小説の一部が完成を見ている”『サラゴサ手稿』の最初のバージョン。
“「1794年」と漉入れされた紙に書かれた第十九日から第三十三日までの自筆原稿が残”されるだけで“前半部分が未発見であるばかりでなく、完成度も低い”とされる。
“この(「一七九四年版」の)時点ですでに小説の基本的な設計は完成している”
“主要な登場人物はすでに全て揃っている”

「一八〇四年版」
“1804年から1808年にかけて、ポトツキは小説を改変する作業を行なう”
“第四デカメロン(第四十日目)までは順調に進むが、第五デカメロンの途中、第四十五日で突如、筆が止まる。そしてそのまま先は続けられずにこのバージョンは打ち捨てられてしまう”
 未完ではあるが、ベルギーの書店から刊行された『ポトツキ全集』(2004~06年 全5巻)に収録され、2008年にはフランスのガルニエ・フラマリオン社より刊行の『サラゴサ手稿』より2分冊の一つとして刊行される。

「一八一〇年版」
“1809年から1814年にかけて、あるいはポトツキの死の直前である1815年にいたるまで、小説には絶えず改変さが施される”
“先行する一七九四年版、一八〇四年版では大きな位置を占めていた「さまよえるユダヤ人の物語」が、一八一〇年版では完全に削除されている”
“作品内に張りめぐらされていた数々の伏線が回収され、第六十一日において物語は遂に大団円を迎えている”
「一八〇四年版」と同じく『ポトツキ全集』に収録され、2008年刊行の2分冊の一つとして刊行される。
2022年刊行の岩波文庫『サラゴサ手稿』の底本

 この完訳の登場により、1980年の国書刊行会「世界幻想文学大系」『サラゴサ手稿』の「ポトツキ論」で述べられ国内で広まっていた「六十六日間」ではなく「六十一日間」が物語の全てとされたのです。

 

 

◆十四日 1958年/1980年

 先の自分の記事では、もうひとつの先行した翻訳の書籍についても触れてました。それが1980年刊行の工藤幸雄氏翻訳による国書刊行会「世界幻想文学大系」収録の『サラゴサ手稿』です。岩波文庫から完訳が刊行されるまで、この『サラゴサ手稿』が知られていたものとなります。
 こちらはフランス語版「カイヨワ版」(1958年出版 NRF版とも)を底本として、ポトツキ自身が書いたと判明している「十四日目」までを翻訳し収録した内容となってます。

 工藤氏の『サラゴサ手稿』巻末にある「ポトツキ論」では、その時点で判明していたこの作品の来歴などがまとめられてます。
 その中で「カイヨワ版」の全容について、“十四日までを収録した前半(198ページ分)”“『アバドロ、イスパニア物語』としてジプシー酋長の話だけをむりにまとめた後半(120ページ分)”と説明されてます。そのうち、工藤氏の『サラゴサ手稿』では前半を訳し、後半は省かれてあります。
 後半が省かれた理由は、ポトツキ研究の泰斗=泰山北斗=その道の大家である在英亡命ポーランド人のレシェク・ククルスキ教授(Kukulski, Leszek 1930-1982)の考証により“「発行者の手が入りすぎており、きわめて信に置きがたい」”と指摘されていたからです。

 なお、「カイヨワ版」自体の底本は、ポトツキ在命中の1813年と1814年にパリのジッド書店から刊行された「パリ版」と呼ばれるふたつの物語でした。十四日目までを収録した「カイヨワ版」の前半は1814年刊行の『アルフォンスの十日物語』と、後半の『アバドロ、イスパニア物語』は1813年発行の『アバドロ』と。「カイヨワ版」は二冊の「パリ版」と“それぞれほぼ合致している(P322)”と「ポトツキ論」は記されてます。

 更に「カイヨワ版」と「パリ版」については、工藤氏のこの『サラゴサ手稿』に付録された「世界幻想文学大系」の「月報28」に寄せられた篠田知和基氏の「『サラゴサ手稿』の幻想」で次のように紹介・評価されてました。
“カイヨワが底本としたものは頭文字だけの作者名による『アルフォンス・フォン・ヴォルデンの生涯の十日間』(1814年)という作品であり、これと、その続編である『アバドロの物語』から拾いだした数章をまぜあわせ、その両篇のポーランド語訳の総題と作者名とをとって、あたかも幻の幻想文学の代表作のようにして紹介したもの”

※後に説明する二冊の「パリ版」については、翻訳者などにより、微妙に名称が異なります。

 


◆十日 1804年/1812年

 では「カイヨワ版」前半の「十四日間」部分がどうしてポトツキ自身の原稿が基になっていると判明しているのかについて、一応確認のため記します。

「ポトツキ論」P320によると最初の『サラゴサ手稿』は、「十日目」までが1804年末に、続く三日分(三日目の途中までで中断)が1805年初めに、『サラゴサにて発見された手稿』としてペテルブルグにあったポトツキの自家用印刷所で秘密出版されました。ただし、十三日目の途中で文章が中断されたとあるように未完全な形で。これら「十三日間」が最初のポトツキ自身の原稿によるものでした。

 続いて出版された二冊の「パリ版」については畑浩一郎氏完訳『サラゴサ手稿』の中巻「訳者解説2 『サラゴサ手稿』来歴」に詳しく書かれてます。1812年にポトツキはパリのジッド書店に「第四デカメロン(第四十日目)」までの書かれた未完成の原稿を送っていたのですが、同年のナポレオンのロシア遠征の影響で残る原稿が届かなかった事から、書店の店主により“おそらくポトツキの承諾を取らぬまま、手元の原稿をふたつに分割し、改変を加えた上で刊行に踏み切”られたのです。それが「パリ版」と呼ばれる1813年発行の『アバドロ、スペインの物語』と1814年発行の『アルフォンス・フォン・ウォルデンの十日間の経験』だったのです。

 特に『アバドロの物語(パリ版)』については工藤氏の「ポトツキ論」の中で、「カイヨワ版」における後半部分と“ほぼ合致している”とされ、その「カイヨワ版」の後半部分についても先に示されてる通り、ククルスキ教授により改変が入っていると指摘されたことから、ポトツキ自身の原稿による作品からは省かれたわけです。
 一方の『アルフォンス・フォン・ヴォルデンの十日間の経験(パリ版)』の部分については、ポトツキ自身が秘密出版した最初の「十三日間」の『サラゴサ手稿』の存在によって、大きな改変が入らなかったのだと思われます。だから、その「パリ版」と“ほぼ合致している”とみなされた「カイヨワ版」前半部分が、ポトツキの原稿とも“ほぼ合致している”とされ、工藤氏が翻訳する対象となったのでしょう。


※以前はこの1804年の秘密出版のものが最初期とされてますが、2002年の新発見で原稿のままで出版に至っていない最初期バージョンの「一七九四年版」という原稿の存在が明らかとなってます。

 

 

◆十四日 1958年/1980年

「十日間」に続く三日分についても、1805年の秘密出版で作者自ら発行していたことから、少なくとも「十三日目」まではポトツキ直筆の原稿だと検証できたのだと思われます。

※ただし、「第十四日目」の部分がどうやって証明されたかについては、検証するすべがないので不明となります。そもそも、『アルフォンス・フォン・ウォルデンの十日間の経験』などと称されているのに「十四日間」の話が収められている理由さえも伺い知ることが叶いません。

 ともかく、この「カイヨワ版」を底本に工藤氏によって『サラゴサ手稿』が日本語で初めて翻訳されたわけですが。しかしこの「カイヨワ版」について、2022年刊行「岩波版」中巻の「訳者解説2 『サラゴサ手稿』来歴」では次のように問題点を指摘されてます。
大きな反響を呼び、『サラゴサ手稿』の文学的価値を決定づけることになる。その反面、この版が小説の評価・分類をミスリードしたというマイナス面も無視できない”
“カイヨワによって公開された箇所は、小説の中でもとりわけ幻想的な演出が施されている部分であり、(中略)フランス語で書かれた幻想小説の先駆と見なされてしまうのである”

 実際、『幻想文学論序説』(1970年ツヴェタン・トドロフ著 三好郁朗訳 1999年創元ライブラリ収録)でも幻想文学の事例として何度となく取り上げられ、工藤氏の翻訳版が日本国内唯一の刊行となった事から、2022年からの完訳版刊行まで国内でも幻想文学作品として広く認識されてきました。

※ちなみに「訳者解説2 『サラゴサ手稿』来歴」では「カイヨワ版」について、“あくまでポトツキの筆になることが分かっている箇所のみ、すなわち冒頭から第十四日目までを公開した”と解説しているものの、1980年」の「ポトツキ論」で触れられている後半部分の『アバドロ物語』については触れられてません。

 

 

◆六十六日 1980年/1999年/1997年/2001年/2004年

 1980年刊行の「世界幻想文学大系」収録の『サラゴサ手稿』の巻末の「ポトツキ論」P318で“六十六日の物語は、まだいちども原作のフランス語では出版されぬままであり、筆稿の一部が失われた今では、もはやそれは望めない”と工藤氏は記してました。そして“全体が出版されているのはエドムント・ホイェツキによるポーランド訳(1847年ライプツィヒ版、1950年・56・65年ワルシャワ版)のみである”とも述べられてました。

 しかし1999年、創元ライブラリで刊行される形で改訳出版された『幻想文学論序説』(1970年ツヴェタン・トドロフ著 1975年翻訳のものを改訳)の三好郁朗氏が「訳者あとがき」の中で次のように記されていたのです。

ところで、本書(※『幻想文学論序説』)が幻想文学の典型的作品にあげていおるポトツキの『サラゴサ手稿』が、同じこの創元ライブラリに収められることになった。このたびの新訳(工藤幸雄訳)は、物語の六十六日まで、すべてを含む完全版と聞く。幻想文学を愛する者にとり、楽しみがひとつ増えることになる”(P260)

 おおよそこの紹介が以降、待望され続ける事となる、工藤幸雄氏による「全六十六日間」の完訳『サラゴサ手稿』の噂の始まりだと思われて……ましたが、長らく失念していたもう少し遡る完訳の噂が、というよりも訳者本人からの紹介(予告)があったのです。

 1997年に刊行された『幻想文学1500ブックガイド』(「幻想文学」編集部/石堂藍/東雅夫 編)にある、工藤幸雄氏による「私撰東欧幻想文学10篇」で次のように予告されていたのでした(なお、10選というお題目なのに『サラゴサ手稿』1篇しか挙げられてないのは熱意というかご愛敬ですね)。

“昨年完成した翻訳原稿は出版社のデスクに空しく寝ている。たぶん、来年には出るだろう。今回の版元は東京創元社である”

 この本は大学時代に大学図書館で読んでいたと思うのですが、その頃はまだ、同じく工藤氏の『サラゴサ手稿』も大学で借りてコピー印刷したものを手元に置いた(その後に神田の古書店で本書を見つけて購入)程度の関心だったからか、この予告をあまり認識していなかったようです。

 また「私撰東欧幻想文学10篇」の中で工藤氏は、“六十六日の物語のフランス語版の上梓は作者の死後百七十四年、一九八九年である。方々に散らばる書写原稿をまとめあげたラドリザ教授はヤンを(略)と称える”と、完訳の底本について述べられてます。

 この底本とは、畑浩一郎氏の「訳者解説2」で挙げられているジョゼ・コルティ書店から1989年に刊行された「コルティ版」の事です。
 
 今回、改めて『サラゴサ手稿』に関する資料を集める中で、かなり具体的に工藤氏の完訳原稿の行方も分かりました。
 2012年に国書刊行会より刊行された『幻想文学講義 「幻想文学」インタビュー集成』(東雅夫氏 編)に収録された、工藤幸雄氏への2001年7月4日のインタビュー、「『サラゴサ手稿』讃」です。
 それによると、“東京創元社の担当編集者であるIさん(※インタビュー中では実名の苗字)”が原稿を受け取っていたというのです。“Iさんが慎重なうえに、フランス語の出来る方だものだから、ちゃんと読んでくれている。そのチェックで思ったよりも時間がかかったんです”と、校正作業?が進行していた事が明らかとなりました。それがどの程度進行してたかは不明ですが、その頃については空しく眠っていたわけではなかったようなのです。

 また、2004年12月に中公新書より刊行された工藤幸雄氏の回想録『ぼくの翻訳人生』の「はじめに」の中でも次のように『サラゴサ手稿』の完訳について触れられていました。

“今二十一世紀に入って最初の役所がフランス語による怪異物語、ヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』の完本(版元、東京創元社訳稿完成、出版時期未定)、続いてヴィトカツィの奇妙な小説『非充足』(版元、出版時期未定)となる。すべて異色の文学だ”

 今回の調べ事で辿った上で、この2004年が『サラゴサ手稿』完訳に触れた最後となります。ただし、もしかしたらその後に出された別の回想録でも触れているかもしれません。
 そして2008年に工藤幸雄氏は亡くなられました。工藤氏はロシア語・ポーランド語に通じていて、『サラゴサ手稿』『ハザール事典』の他、映画『カティンの森』の原作の翻訳や、『ポーランドを生きる ヤルゼルスキ回想録』の翻訳など手掛けられてました。『ぼくの翻訳人生』では、ポーランドなどでの暮らしぶりとか、日本から欧州への船上で『サラゴサ手稿』(カイヨワ版)を翻訳したなど様々なエピソードが記されてました(地元の図書館に収蔵されてましたので限られた時間で目を通してました)。

「全六十六日」の完訳原稿の消息は2001年までは具体的に編集部で原稿チェックされていたらしい事が分かりましたが、2004年においても刊行時期が未定でした。

 2004年といえば、同じ頃にベルギーの書店より『ポトツキ全集』(2004~06年 全5巻)の刊行が始まった年です。そう、その前の2002年に『サラゴサ手稿』研究の最前線・欧州では、ポズナニで新たなポトツキの自筆原稿が発見され、複数のバージョンがある事が判明していたのです。
 この出来事と「全六十六日」の完訳原稿の消息は時期的に見て関連している可能性がありますが、今の所、工藤氏がその欧州での新発見の報に接したかどうかも、『ポトツキ全集』を手にしたかどうかも分かりません。

 


◆六十六日 1847年

 では、工藤氏が完訳の際に底本とした「コルティ版」とはどのようなものでしょうか。

 その前に、先に「ポトツキ論」の中で工藤氏が触れてました“全体が出版されているのはエドムント・ホイェツキによるポーランド訳(1847年ライプツィヒ版)”について、もう少し説明を加えます。

 岩波文庫の「訳者解説2 『サラゴサ手稿』来歴」では「エドムント・ホイェツキ」について、“(ライプツィヒでポーランド語訳が刊行された1847年の)二年前からパリに亡命中のポーランド人”だと伝えます。
 その頃のポーランドは19世紀ウィーン体制でロシア帝国皇帝が王位を兼ねていたポーランド立憲王国となっていたものの、ロシアによる専制的支配に対して民族蜂起を繰り返しても鎮圧されたことから大量の亡命者を出していた。時期的に見てそのひとりだと思われます。
 そして1847年の「ライプツィヒ版」について、“『サラゴサ手稿』の全体像はこのポーランド語訳によって初めて明らかになる”と取り上げつつも、“改竄の上にかろうじて成り立っている”と幾つもの大きな問題を挙げられてました。

“複数の草稿を突き合わせてもなお埋まらぬ空隙、筋立てに残る矛盾を克服するために、彼は作品を改変することを厭わないのである。物語の順番は入れ替えられ、新たなエピソードや登場人物が考案され、少なからぬ文章が削除される”

 こうしたかなり強引な形でしか全体像がつかめなかった訳について、「訳者解説2」では次のように記されてます。
(東西ヨーロッパの)各地に残された資料を寄せ集め、執筆年代も完成の度合いもまちまちな原稿を突き合わせて、物語の筋が一貫すべく小説の全貌を明らかにしていく作業がいかに困難を極めるかは容易に想像できる”と。

 工藤氏が全体像が明らかとなった「ライプツィヒ版」を邦訳の底本に選ばなかった理由は、原著のフランス語で書かれたものではなくポーランド語訳だった事の他に、この改竄の問題もあったのかもしれません。そもそも工藤氏が最初に訳した『サラゴサ手稿』の底本だった「カイヨワ版」でさえ、ポトツキの原稿に手が加えられたとされる後半は採用しなかったのですから。

 ただ、この「ライプツィヒ版」について、改竄はありましたがそれはまた同時に、寄せ集めた資料を突き詰め再構築するという作業をされていた事から、先のジッド書店が出した「パリ版」における発行者による改変の入った『アバドロ スペインの物語』とは違ったアプローチを試みようとした痕跡と見る事も出来ます。
 元にしたポトツキの原稿について「ポトツキ論」も「訳者解説2」もより深く掘り下げられてませんが、ホイェツキがパリで亡命生活を送っていたのですから、1812年にポトツキがジッド書店に送った「第四デカメロン(第四十日目)」までの未完成の原稿をその書店から借り受けていたのかもしれません。


※ポーランドの文化・国家遺産省の文化振興基金(国の特別目的基金)の資金提供を受けて作成されている「Free Readings Library」ウェブサイトで公開されている「ライプツィヒ版」の解説では、(以下自動翻訳)
“チョイェツキの翻訳の基となったフランス語の原文は失われており、彼の論文には翻訳作業の痕跡が残っていないため、翻訳を行ったのは25歳のエドマンド・チョイェッキ(同時期に他の多くの研究や編集作業に携わっていた)ではなく、彼が名前を貸しただけで、実際の翻訳者は匿名のままであると推測できます。この仮説は、2016年にWydawnictwo Literackie社から出版された、フランスの学者による綿密な復元に基づくサラゴサ写本の新しいポーランド語翻訳の著者であるアンナ・ワシレフスカによって提唱されました”
(アンナ・ワシレフスカ(Anna Wasilewska) 新ポーランド語訳版で2016年にグディニャ文学賞を受賞)
というより最新の研究が記されてます。

 

 

◆六十六日 1989年

 1989年に刊行された「コルティ版」とは、ラドリザ教授(René Radrizzani 「訳者解説2」の中では記述なし)が編集してジョゼ・コルティ書店から刊行された、初めてフランス語で書かれた『サラゴサ手稿』の全体像です。

 しかしその編集に当たって、「訳者解説2」によると“かつてホイェツキが直面したのと同じ問題にぶつか”ったのです。“物語の欠落箇所が残る”という問題です。工藤氏が「ポトツキ論」のP318で“六十六日の物語は、まだいちども原作のフランス語では出版されぬままであり、筆稿の一部が失われた今では、もはやそれは望めない”と指摘されていた問題が絡んでいたのでした。

「コルティ版」では、その欠落箇所をホイェツキの「ライプツィヒ版」“を参照し、それをフランス語に翻訳する形で補う(「訳者解説2」)”事で全体像を再現されていたのです。

 1989年の「コルティ版」刊行から7年ほどを経た1996年頃に、工藤氏はこの六十六日間の物語からなる『サラゴサ手稿』を完訳されたとされます。しかし、2002年以降の最新研究でポトツキの原稿が整理された事で、「ライプツィヒ版」「コルティ版」それぞれの問題点がようやく解消され、漸く完全な姿を得たのです。

 


◆六十六日、もう一つの試み 1956年/1965年

 工藤氏の完訳『サラゴサ手稿』原稿の他にも、工藤氏が知るもうひとつの「六十六日間の物語」の完本の試みが実は存在していました。
 それが工藤氏の「ポトツキ論」P303の別記で触れられてる“ポトツキ研究の泰斗”在英亡命ポーランド人のレシェク・ククルスキ教授(Kukulski, Leszek 1930-1982)が悲願”とした“フランス語の手稿のうちの欠落部分を、ポーランド訳から再生して、フランス語によって六十六日間の物語の完本”という試みです。ククルスキ教授は1847年のエドムント・ホイェツキの「ライプツィヒ版」を編集し直し監修した「ワルシャワ版」(1956年・65年)を著してましたが、大学図書館の本を探せるCiNiiで検索した限りでは、その2冊以外の『サラゴサ手稿』研究は出されてなかった、悲願は果たされなかったようです。

 工藤氏の「ポトツキ論」では、氏の最初の『サラゴサ手稿』翻訳の際に“同教授監修のポーランド語版を参照し、その詳細適切な注釈を大いに活用させていただいた”と触れられてます。

 

 

◆見失われたもうひとつの全訳『サラゴサ手稿』の痕跡

 この度の「見失われたもうひとつの全訳『サラゴサ手稿』を求めて」に着手した最初の日(今この文章を書いている日から1週間前)に、参考となる資料をネット検索などで調べている際にある物語の存在を知りました。
 それは河出書店が出版されていた『東欧怪談集』(沼野充義 編 1995年出版 2020年新装版刊行)に収録された次の物語です。

『サラゴサ手稿』第五十三日 トラルバの騎士分団長の物語 工藤幸雄氏訳

 これは岩波文庫『サラゴサ手稿』(畑浩一郎氏翻訳)の中では、中巻の「第三十七日目」にてジプシーの族長が語る「神に見捨てられた巡礼者、エルバスの物語」の中で登場する人物が語る物語にあたります。
 工藤氏が訳していたこの物語の存在が何よりも重要なのは、これまで国書刊行会「世界幻想文学大系」『サラゴサ手稿』の「第十四日目」までしか読むことの出来なかったとされていたその先の物語の一部が、1995年には既にこの世に出ていた事、全訳されていた痕跡が存在していた事です。

 


◆見失われたもうひとつの全訳『サラゴサ手稿』を求めて……2023年

 その物語の一部が既に出版されていたものの、2022年の新たな研究に基づいた「全六十一日間」完訳の刊行後も、2023年現在も、工藤氏による完訳については音沙汰がありません。しかし……この一報は本当でしょうか!?

20230107 新年早々うれしいニュース(翻訳家・垂野創一郎氏:プヒプヒ日記より)
“新年早々、うれしいニュースが流れてきた。あの伝説の彼方に消えたと思われた工藤幸雄訳『サラゴサ手稿』がついに出版されるという(情報ソースは昨年末の「読んでいいとも年末特別篇」での東京創元社の発表)。”

 去年年末にイベントか何かでそのような発表があったの!? タイミング的に岩波文庫からの完訳刊行を受けての反応でしょうか? しかし、11月時点でも実際に刊行の予定などは挙がってないので……。

 

(2023年11月16日17:45)

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