『土曜ソリトンSIDE-B』があった1995年頃聴いていた音楽についての個人的な思い返しとか。
福岡市にある大学に進学して寮生活を始めて、サークル活動とか色々と新しい事を始め出した1995年。この年は聴く音楽の好みを見つけた年でもあったと今でも思います。そのきっかけとなったのが、NHK教育で土曜の夜に放送されていた「土曜ソリトンSIDE-B」でした。司会はギタリストミュージシャンの高野寛さんと女優の緒川たまきさん。
ただ、その番組を放映が始まった4月から見ていたわけではありませんでした。新学期が始まって翌月頃、6月に「テクノ特集」が扱われる番組があると何かで耳にして、初めてその存在を知ったのです。
ちなみにその回以降、用事がない限り毎週欠かさず放送を見てビデオテープにも録画して、大学時代にこの番組を何度も見返してましたが……卒業の時にそれらのビデオは寮に残しちゃったんですよ。まぁその後にビデオデッキが壊れて録画用DVDに媒体が移った辺りで処分してたかもしれませんが。
その代わり、今も大事に持っているのがムック本『土曜ソリトンSIDE-B リターンズ』です。放送内のトークとかインタビューがテキストに起こされて収録されてます。6月以前に放映されていて見ることが出来なかったテイ・トウワさんがゲストの回についてもこの本で読み返すことが出来ましたし、YMOの3人それぞれの回も振り返ることが出来ます。
「テクノ」と聞いてのイメージは、当時は多分、93年に再生したYMOの音楽だったと思います。
大学進学以前に自分が聴いていたのYMOと坂本龍一さんの音楽、後は宮崎アニメ関連で久石譲さんのサントラとかアレンジCDでした。
家にあったYMO散開記念ベストアルバム『SEALED』と『コンプリート・サーヴィス』、再生YMOのCDとライブビデオ、『音楽図鑑』から『スウィート・リヴェンジ』のCDアルバム、あとは録画したテレビ放映からカセットテープに録音した坂本龍一さんのライブ音源(のちの『プレイング・ジ・オーケストラ』に収録されたライブ)なんかを、CDプレイヤーやカセットテープ用のウォークマンで聴きながら高校生活とか大学受験とかしてた感じです。
ともかく、そういうわけで「テクノ」という見出しに釣られて番組を見た訳です。そして初めて見た「土曜ソリトンSIDE-B」の、「テクノ特集」のゲストは電気グルーヴの石野卓球さんだったのです。
内容については『土曜ソリトンSIDE-B リターンズ』で振り返ることが出来ます。番組司会のミュージシャン・高野寛さんと石野卓球さんが二人とも「YMOチルドレン世代」という事で、トーク内容も、銀蝿派かYMO派か、とか、歌詞作りの事とか(”思い出せないようなレベルだったら、たいしたことなかったな”って言う石野さんのコメントは割と今も印象的かな)、YMOについての受け止め方の違いなど、12ページに渡ってやりとりされてました。
1995年にこの「テクノ特集」をもし見ていなかったら、自分が聴く音楽の方向性は大きく変わっていたはずです。もしくは、数年のずれ込みがあったかと思います。
というのも、それまでYMOと坂本龍一さんの音楽ばかりしかほとんど聴いていなかったのですが、それ以外の音楽はテレビの音楽番組とかで流れる流行歌以外に聴く機会がなかったんです。大学生活以前は特に、おこずかいからCD1枚を買うのも大変だったから、新規開拓する勇気もありませんでした。
更に言えば、90年代中頃はまだ、バブル景気終焉を実感する前だったという時代背景もあったかもしれません。
広島アジア大会が開催された94年には広島でパルコにタワーレコードが、基町クレドのパセーラにヴァージンメガストアが出店していて、音楽を買えるジャンルが一気に広がっていたんですが……逆をいえば何が好みか、探しきれなかったんです。進学した95年の「土曜ソリトンSIDE-B」と「テクノ特集」でやっと好みを見つけて、天神のショッパーズ福岡にあったタワーレコードでその辺りをチェックできるようになったと思います。
(96年には福岡の中洲川端にオープンしたキャナルシティ(開業日に足運んでましたわ)にヴァージンメガストアが出店していて、大学時代は本屋巡りと合わせて、タワーレコードとヴァージンメガストアによく通って、配布されてた月刊の無料音楽冊子を手にしてました)
「土曜ソリトンSIDE-B」がきっかけで踏み出した一つが「電気グルーヴ」の曲を初めて聴いたことでした。多分、番組中の紹介か「テクノの歴史」というコーナーでライブシーンの盛り上がり振りとかノリノリな熱気ある感じとかが紹介されたのを目にしてなければ、電気のCDを聴き漁るなんてこともなかったかもしれません。『ORENGE』とか『A(エース)』とか聴いたり、97年の「ツアー野球ディスコ」第2公演の「Shangri-La」初上演だった福岡ドラムロゴスでの初ライブ体験もなかったですね。レンタルビデオにあったライブVHSで、エンディングに「アルファベットでB.A.S.S!」が流れてる場面でメンバーの砂原良徳さんが上半身裸でネクタイ締めて福岡天神のイムズビルから出ていくトコなんて、気付く事が無かったし。
ただ、番組当時だと石野さんはソロアルバム『DOVE LOVES DUB』をリリースした年でしたが、リズムメインの曲を受け入れられたのは2000年代に入ってからでした。曲で参加されてたPS『攻殻機動隊』のサントラも同じくらいに遅れて嵌ってました。その辺りに個人的な好みの波がありますね。
BGM的にはテクノだし、インスト曲もそうなのだけど、ちょっとブラックな成分を混ぜた面白い日本語歌詞が加わることで日本のテクノポップって感じになっていたところが、自分の中で受け付けられたのかなと思う。
そしてもう一つが、「テクノ特集」の中の「テクノの歴史」というコーナーでテイ・トウワさんの「Batucada」のPVを初めて見た事でした。というかこの回よりも前にゲストで出演されてたと知った時は愕然としましたよ。『リターンズ』で会話のやり取りは振り返ることが出来たのですが。
ともかく番組を見てからアルバム『FUTURE LISTENING!』を買ったりリミックス買ったりして……福岡のお洒落なクラブっぽい所でのDJライブに行く機会なんかも(自分、完全場違いだったorz)。1999年のアルバム『Last Century Modern』と2000年の「火星」まではCD買ってましたね。
テクノポップかラウンジミュージックとも呼ばれるらしいジャンルの傾向があり、ボサノヴァやタミル民族音楽なども交えていて。それから『FUTURE LISTENING!』が、坂本龍一さんの91年のアルバム『ハートビート』(テイ・トウワさんも参加)や94年のアルバム『スウィート・リヴェンジ』、95年の『スムーチー』とも近い感じだった事から、好みが合致してたんだと思う。
話を「土曜ソリトンSIDE-B」に戻す。石野卓球さんの次のゲストは坂本龍一さんでした(1995年6/10)。そして細野晴臣さん(7/22)、高橋幸宏さん(9/2)、矢野顕子さんと細野晴臣さん(12/16)と、YMO関係者がゲストで登場していて、番組のシリーズ最終回ではYMO特集まで組まれてました。
93年の再生YMOから入った自分にとって、それまでは、すでに刊行されていて書店に並ぶ本か古本屋の本、中古CD店のCDなどでしか、文字と音楽でしかYMOを知る機会がありませんでした。あの頃はインターネット黎明期で今のように豊富な情報もなく、触れられる映像も、奇跡的に録画できたテレビ番組程度でしたから。
それが、この番組を通じて再生以前の事とか再生後の活躍などを含めて見ることが出来たのです。……といってももう既にその映像内容の記憶自体は埋もれてなくなってますが(汗)。でも1995年にリアルタイムでそれらの放映が見れた事は大変恵まれていたように思います。
という感じで、「土曜ソリトンSIDE-B」を中心に1995年頃の自分の周りでの音楽とかを、記憶と『土曜ソリトンSIDE-B リターンズ』で掘り起こして思い返してみました。あくまでも自分個人の記憶なので、不確かなところとかあるかと思いますが。
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